山本 弘
角川書店
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仮想現実というテーマは
SFにおいて究極に都合が良い。何せ全ての事象を夢落ちにしてしまえる。だが、それ故に話をきれいにまとめるには著者に高いスキルが求められる。
神は沈黙せずは“何でもあり”の辻褄を合わせるうんちくに関しては最高峰かもしれない。この世は神の作ったコンピューターシュミレーションであるという古典的なテーマに可能な限りのリアリティを与えているのは執拗なまでの超自然現象事例の列挙である。これでもかというほどの事例の列挙はおよそストーリーの半分は締めているのではないだろうか?
事例にとどまらず、宗教や科学における背景などの詳細な説明には頭が下がる。そこが面白く、読み入ってしまったのだが物語として考えたときに、もう少しストーリーや人物に深みが欲しかった。
この世が実は仮想現実であったというテーマは古今東西から多く用いられてきた。
例えば鈴木光二の
ループは前作2作が仮想現実であったという衝撃の落ち。それを知ったとき、今まで前作で登場したキャラクターたちの喜びや苦しみが水泡に帰したようなえもいわれぬ無常感に打ちのめされた。“夢落ち”に対してトラウマを持ったのは思えばこのときからかなあ。
ちょっと古いところで言えば岡島二人の
クラインの壺。当時、ちょうど
バーチャルリアリティという言葉が聞かれる様になった頃で、仮想現実物としては奔りの作品だった。こちらは夢落ちというよりは、トリックに
バーチャルマシンが使用され、仮想と現実の区別がつかなくなる話。やっぱり無常感を感じてしまう。
考えてみればまだまだあるな、仮想物。マトリックスもそうだし、最近アニメ化された
ブレイブ・ストーリー (上)もそうだし、筒井康隆の
パプリカもそうだ。
仮想空間では現実とはかけ離れた能力を発揮できたり、自分が創造主であったり。だけどままならないという話が多い。
そう言えば私が好んで読んだ
SFってこの辺がテーマになったものが多い。う〜ん。願望入っているのかも。今、この瞬間も夢落ちにして欲しい件がいくつか。ままならないってことはないよな?